10月末に、生まれ故郷の島(丸亀市広島)に渡ってきた。
今年に入って2回目(10月に2回)である。
前回(10月初め)は、一年ぶりに島に帰り、気になっている「空き家対策」を行った。
家の掃除と屋敷まわりの草刈りだ。
その時、庭の草木はある程度伐採できたが、石垣の方は半分程度。
季節外れの暖かさで汗だくになり、ヘトヘトになったので、途中から、島一周のドライブに変更したのだ。
それはそれで、幼少時代を懐かしく思い出し、美味しい弁当を食べて大満足であった。
その時の様子については、下記👇をご覧いただければ幸いです。
今回の島帰りは、残った石垣の草木の伐採。
ただ、それだけではつまらないので、およそ20年ぶりに「釣り」をしようと、納屋から釣り道具を引っ張り出して持って行った。
島に渡る前に釣具屋に立ち寄り、「カレイ」を釣ろうと「ホンムシ」と「ゴカイ」を購入した。
そうしてフェリーに乗り、「いざ島へ」。
広島に到着し、幼少時代を過ごした我が家(現在空き家)へ。
家の石垣は、草木が伸び放題になっている。
見ただけで、ゾットする。
これをやっつけるには相当な時間を要し、「釣り」ができるのかと心配になる。
そんなことを考えていても、何も始まらない。
やるだけだ!
持ってきた剪定バサミとノコギリ、それにカマを交互に使って作業を続ける。
途中、お婆さんとおっちゃんに会った。
「〇〇さん?」と声をかけてくる。
挨拶に加えて、「空き家対策をしていないと面倒なんで」と言うと、いろいろと島の現状を語ってくれた。
お婆さんの方は、近所の「〇〇さん」で、正直名乗られるまで分からなかった。
おそらく80歳は超えていると思うが、険しい山道(?)を上り下りして「畑仕事」をしている途中に声をかけられた。
昔話に花が咲いたが、「近所の人はみんな本土に出て行った」と寂しそうに話していた。
島だと、「一日誰とも会話をすることがない」というのが普通なのかもしれない。
顔も見たくない奴と話をするのと、どちらがいいのだろう?
ストレスを溜めるよりは、孤独でも自由の方がいいか⁉
おっちゃんの方も、これまた名乗られるまで分からなかった。
それもそうだろう。
中学を卒業したら、ほとんどの者が本土に出て行くのだから。
それから、40年近くの月日が流れている。
中学卒業以来、一度も会っていない同級生もいるが、おそらくどこかで会っても分からないだろう。
このおっちゃんは、採石場の石をトラックに積んで運んでいた。
広島は、「青木石」という墓石を採掘する石材業で栄えた島であるが、現在は資源(石)に限りもあって衰退している。
そんな中で、今も石材業を営んでいるようだ。
おっちゃんいわく、島は「お婆さんばかり」になっているそうだ。
やはり、女性の方が長生きしている。
そのお婆さんたちも、身体を壊せばその子息が本土に引き寄せて、世話をしているらしい。
何十年も住み慣れた島から離れ、本土で暮らすというのは、どんな気持ちなんだろう?
交通機関や医療の面で、都会になるほど便利で安心だから、「年を取ったら田舎でのんびり暮らしたい」と言うのは、個人的には違うと思う。
ただ、お勧め漫画でご紹介した「Dr.コトー診療所」のコトー先生のような名医が居てくれれば、島の生活も悪くはないはずだ。
草刈りの途中でお婆さんとおっちゃんとのお喋りタイムが入り、適度な休憩を取りながら「草木との格闘」を約2時間。
石垣の全貌が見えてきた。
しかし、この石の間から伸びてくる「草木の生命力」には感心する。
同時に、40年も前に「この辺ぴな島」で石垣を築いたという事実も、改めて凄いなと思う。
大昔のお城もそうであるが、現代のような立派な資機材がなかった時代に、石垣を築くこの頭脳と技術は天才的である。
この日も秋晴れの暖かい日で汗だくになり、これまた運動不足で「息が切れる」。
「釣り」をする余力残しと、贅沢なお弁当タイムが待っているので、今回の「空き家対策」はこれで終了。
お腹がすいたので、前回見つけた景色のいい休憩所へ。
まだ、「紅葉」はしていない。
それにしても、労働のあとに「ベタ凪の海」を見ながら、絶品の手作り弁当を食べるのは最高である。
おにぎり
卵焼き、唐揚げ、サワラの煮付け、ホタテ
前回も言ったが、ここで手作り弁当を食べるのは、三ツ星レストンで食べるより美味しいはずだ。
絶品のお弁当を完食!
気持ちよくなったので、お昼寝タイムとする。
今回、島に渡ったもう一つのメインである「釣り」については、後日報告いたします。
おやすみなさい💤