作家の西村京太郎さんが亡くなった(3月3日)。
91歳であった。
トラベルミステリーが有名で、「十津川警部」シリーズはドラマ等でもお馴染みであった。
私は、高校・大学時代に西村京太郎さんと赤川次郎さんの小説にハマった。
西村京太郎さんのトラベルミステリーで鉄道に興味を持ち、特にブルートレインに憧れたものだ。
社会人になって少し経ってから、仕事に追われ(?)ほとんど読まなくなったが、当時読んだ本は本棚に眠っている。
何故だろう?青春時代の思い出にそのまま置いているのか?
本棚から出してみた。
小説で言えば、西村さんの作品が一番多い。
次いで、赤川次郎とシドニー・シェルダン、湊かなえってところか。
ミステリーは、一度読むと「種明かしがわかる」ので読み返すことはまずない。
ドラマや映画でも、ミステリー作品はそんなものだろう。
「犯人が誰か?」というものは、特にそうである。
ただ、犯人が分かっていて「そのトリックは?」というものは、あらすじもトリックも忘れている。
だから今、ここにある西村さんの本を読めば、新鮮で楽しめるだろう。
もちろん、新幹線等の列車はグレードアップしているし、時刻表も昔とは変わっているけれど。
ブログでお勧め本を何度か紹介しているが、何度も読み返す本はほとんどないことに気づく。
自己啓発本などは、為になることが書いてあるのに全く覚えていない。
読み返すのは、ほぼ漫画だけである。
そもそも、何の目的で読書をしていたのか?と思うことがある。
私のような「にわか読書家」は、社会人になって「本を読んだことに酔いしれている」のかもしれない。
学生時代は純粋に読書を楽しんでいたのだが、大人になってからは「目的がズレていた」ような気がする。
それは、成功者が「読書すること」を自慢げに語るからだ。
知的で博学にも見える。
確かに、本を読むことは為になるのは間違いない。
でも、見栄のために「○○を読んだ」とか「月に何冊読んだ」と、自慢したかったのもあるかもしれない。
全部が全部そうではないけれど…。
そんな動機だから、読書をして何かを吸収すると言うより、とにかく読破することが目的となっていた気がする。
読破することが、自己満足と見栄に繋がるというわけだ。
二冊同時に読むとか、英字新聞が読めるといったくだらない自慢をする輩がいるので、おそらくそうなったのだろう。
お勧め本を紹介している私が言うのもなんであるが、読書は自分が好きな本を楽しめば良い。
そして、それが役に立ち、行動に移せるものであればさらに良い。
間違いなく西村さんの本の内容は忘れているので、数ある中から一冊読んでみよう。
読むと、新幹線に乗って旅行したくなるだろう。
その気持ちが出るのが、読書の良いところである。
楽しめて、心を動かされ、行動に移せる本が、本当にいい本なのだ。
学生時代、西村京太郎さんの本で楽しませてもらった。
ご冥福をお祈りいたします。