「弘法筆を選ばず」ということわざがある。
技量が優れていれば、道具に左右されないという意味だ。
達人の域に達すれば、どのような状況でも失敗しないという意味もある。
転じて、
自分の技量不足を道具のせいにしてはいけない
失敗を周りの環境のせいにしてはならない
という戒めでもある。
私は、万年筆を二本持っている。
何十万円もする代物ではないが、百円ショップのボールペンなら数百本は買える。
かれこれ十数年前に買ったものであるが、パソコン・スマホの時代になり使用することはほとんどない。
どうしてもなくては困るという必需品ではないので、無理して買う必要はないものだ。
それでも、万年筆はお洒落だし、これで綺麗な字を書きたいと思って購入したものだ。
と言うのは、半分本当で、半分は競馬で勝ったからだ。
何でもそうであるが、どうしても必要な物でもなければ高価な物を買うのは躊躇ってしまう。
お金が有り余っている人なら、ノータイムで買えるだろうけれど。
そういうお金持ちであるが、ケチな人もいれば、本当に必要な物しか買わないという人もいる。
そういう人は、必要な物とそうでない物とのさび分けが上手いのだろう。
私のように「安物買いの銭失い」をする人は、こういう人を見習わなければならない。
さて、このモンブランの万年筆は、先ほど言ったとおり競馬で勝ったあぶく銭で買ったものだ。
十数年前、東京出張中に東京競馬場へ行って、最終レースの三連単24万円をゲットしたのだ。
こういうあぶく銭でなければ、滅多に使うこともない万年筆を買うこともなかっただろう。
ギャンブルで勝ったお金は、何かを買うなど有効に使ったほうがいい。
パチスロでもそうであるが、儲けたお金を軍資金にしてまたギャンブルに使うのは、ギャンブルをするためにギャンブルをやっているようなものだ。
これでは、単なる時間とお金の無駄遣いになってしまう。
ギャンブルで勝ったあぶく銭は、あぶく銭でなければ買えない物を買うとか、人の役立つことに使うのがいい。
映画やドラマで、ギャンブルで勝って豪遊するシーンがあるが、これはお金を循環させているし、そうすることで「また自分に戻って来る(勝てる)」のだと思う。
この万年筆であるが、書くこと自体減っているので「綺麗な字」が書けるようになっているわけではない。
「弘法筆を選ばず」とは反対の意味で、鉛筆や安物のボールペンで書いた字と全く変わりはない。
ゴルフクラブと同じで、新製品のいいクラブを買っても、スコアはさほど変わらないのと同じだ。
それなのに、出来ないことに関しては「道具や環境のせい」にしてしまっている。
こういうところが、いつまでも未熟者のままでいる所以なのかもしれない。
どのペンを使っても同じだと言ったが、万年筆も持つと気が引き締まって「綺麗な字を書きたい」と思う。
そういう気持ちになることが大切なのだ。
あとは継続して練習すれば、達筆になれる(はずだ)。
やる気を出して成果を上げるために、ちょっといい道具を購入するのはいいかもしれない。
先週、競馬のWIN5で的中したものと、昨日(2/13)の「京都記念」でアフリカンゴールドで勝たせて貰ったお金を有効活用したいと思う。