
隣のおじさんから、「ナスビ🍆」を頂いた。
80歳は超えているが、毎日のように家庭菜園の畑仕事をしている。
どこかに売りに出しているわけではなく、自分ちと親戚、近所の人などに配っている。
無収入なのに、何十年も作っているのが凄い。
空き地で草がボーボーになることを防ぎ、なおかつ健康にもいいのだろう。
それにしても、自給自足の分はわずかで、あとは無料配布なのだから頭が下がる。

お金にならないことに、「労力・時間・努力」を惜しみ無く使うことは素晴らしい。
お金にならないことはせず、合理的・効率的なことを求める現代において、稀有なことかもしれない。
それを考えると、お裾分けにとても感謝である。

一般的には売りに出していると、お裾分けは「残り物」になるかもしれない。
魚でも、一番良いものは都会の高級店に卸されるというのと同じだ。
それでも、売り物であろうがなかろうが、一番良いものを身近な人にお裾分けしたら喜ばれるだろう。
それが評判を呼び、もっと売れるようになるのではないかと思う。
まぁ、損得勘定は抜きにして気持ちの問題だ。
商品にならない残り物をお裾分け(?)する人、それを頂いて文句を言う人、実に寂しい限りだ。
ナスビ🍆は苦手であるが、秋ナスの採れたてを頂いたことに感謝である。