知らない言葉を覚えるたびに僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない言葉もきっとある
中島みゆきの「命の別名」の歌詞である。
アラフィフになっても知らない言葉はたくさんあるが、知らないこともたくさんある。
もちろん、知らなくていいこともきっとある。
家庭菜園で初めてじゃがいもを植えたが、ほんとに知らないことばかりだ。
種芋から植えて「芽かき」というものを知り、それをやっていつの間にか立派に成長している。
だが、この青々とした葉っぱは食べられない。
葉っぱがメインではない「根菜類?」であるから、それは良しとして、それにしてもよくできている。
(じゃがいもは「茎」の部分が膨らんでできる茎菜!「塊茎(かいけい)」と呼ばれる)
葉っぱがメインとなる野菜の「立場をわきまえている」かのようだ。
いわゆる「二刀流」ではない。
そんなじゃがいもに水やりをしていたところ、なんと花が咲いている。
花が咲いても不思議なことではないのだが、これも知らないことだったのでビックリした。
どうりで、蝶🦋や蜂🐝が飛んでいたわけだ。
この花も、キュウリやナスビ、いちごのように実は付けない。
(正確には、受粉して実を付けるものもあるが、基本食べない)
これも、うまくできている。
そして、わきまえている。
じゃがいもは、(地下の)茎が膨らんでたくさん収穫できればいいのだ。
「器用貧乏」と言われる、何をやっても人並み以上に出来る人がいる。
それでも言葉の通り。
なまじ器用にいろんな事がこなせるために、かえって大成しない。
何か突出したものがないと、評価されることもない。
いいように使われるだけだ。
両方とも突出したものであれば、エンゼルスの大谷翔平選手のように「二刀流」の偉大な選手になる。
野球は団体競技であるから、そんな凄い選手がいても他の選手への影響は少ない(気がする)。
一方で、個人競技であれば話は変わってくる。
例えば、オリンピックのように。
類まれな才能で「夏季・冬季オリンピック」に出ると、それ一本の選手が弾かれる…。
迷惑な話で、「余計なことすんなよ!」と思う人がいるかもしれない。
仕事でも同じで、「本業だけで充分だろう」「邪魔すんなよ!」と思う人もいるだろう。
そういう意味で、じゃがいもの葉っぱが食べられなくても、花から実がならなくても何の問題もない。
ほんとに、うまくできている。
僕がいることを喜ぶ人が、どこかにいてほしい
(中島みゆき 命の別名)
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